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期待|2023/05/31

”期待”という感情について、考えてみた。なぜそんなことを考えたかというと、私が「期待するんじゃなかった」と思ったことがきっかけ。

「期待するんじゃなかった」

漫画やドラマなどで、こういうセリフが出てくることがある。

「期待した私が馬鹿だった」

こんなセリフも出てくる。

これらのセリフは、自分の浅はかさを述べる言葉である一方で、期待に応えてくれなかった相手を責めるニュアンスが含まれるように思う。そこはかとなく。いや、まあまあ如実に?

果たして、期待した者が悪いのか。期待に応えてくれなかった者が悪いのか。

期待とは、相手に自分が望む言動を求める感情だと思う。

「こうしてくれたらいいな」
「こう言ってくれたらいいな」
「こう思ってくれたらいいな」

自分が思った通りにしてもらえたら、嬉しいよね。でも、思った通りにしてもらえなかった場合、悲しかったり、腹が立ったりする。

このように見ると、非常に自分勝手な感情だなーと思う。

自分が思った通りにしてくれなかったから、腹を立てて、

「期待した私が悪かった」

と捨て台詞を言ったところで、第三者から見れば、

「まあ、そうですね」

ってことになりうる。なぜなら、期待とは、非常に自分本位な感情だからだ。

期待の裏には願望がある。願望には、「こうなったらいいのに」と同時に、「こうなったら嫌」が隠されている。

私は、ここのところ、自分がやっていることに、いろんな人が賛同してくれるのではないかと期待していた。私がしていることを「いいじゃん」と言ってもらえることだと思い込んでいたのかもしれないと思う。

でも、それは、私の勝手な思い込みであり、ほぼ妄想に近い。

妄想通りにならなかったとして、私が「期待するんじゃなかった」と、相手を非難することはお門違いなのではないかと思うのだ。

私は、お門違いな期待を、相手にしていたのだなーと思う。

期待の感情を起こさないことは難しい。感情は勝手に湧き起こるものだし、頭の中で、都合のいいようにストーリーを作ることも、人間の仕組みなので仕方がない。

私がすべきなのは、期待の感情に気がつくこと。そして、期待の感情のまま、相手に打ち明け話をしないことだ。打ち明けた結果、相手が自分の思い通りに反応してくれたとしても、それは相手が悪いのではなく、期待の感情によって、言動を暴走させた自分の問題なのだ。

つまり、私に関して言えば、「期待した私が悪かった」と思ったとしても、「そうですね」ってことだ。

ただ、一方で、期待された場合に関して言えば、私が相手の期待に沿えなかったとしても、私が悪いのではないとも言える。

期待をかけられる関係というのは、多かれ少なかれ、信頼の情を寄せられていることなのだろうと思うのだが(全てに当てはなるかどうかはわからんが)、期待をされているかどうかは、私からは見えようもないのである。

というか、何を期待されているのかは分かりようもない。ある一言を期待されている場合もあるだろうし、それなりに厳しいアドバイスを求められているのかもしれない。でも、正解は、期待をしている本人にしかわからない。本人ではない私には分かるわけがないのである。

よって、私は、相手に勝手な期待を寄せることもしないが、期待をかけられて、それに自分が答えられなかったとしても、自分を責めるのはやめようと思う。

それで信頼関係が崩れたとしても、それはそれまでの関係だったのだということ。期待をかけられるプレッシャーを重荷に感じる必要はないのだ。

それに、私にプレッシャーをかけていることに自覚的でない相手は、私のことを思いやってくれない人なので、大切にする必要もないわけで。

私は、自分が心地よい生き方をする権利がある。

ただ、子供に関しては、ちょっと話が変わってくる。

子供は親に、あれこれ期待していることがある。おねだり的な期待もあれば、こんなお母さんでいてほしい的な期待もある。こんなふうに褒めてほしい的な期待もあるだろう。

子供に対しては、「こういってほしいのかな?」と、相手に沿うような態度が、多少は必要なのだろうと思う。

とはいえ、親と子供は、親子といえど、違う人間なので、期待の詳細はわからない。慮ったところで、ハズす場合もあるだろう。多々あるだろう。残念ながら。私はスーパー母ではないのだ。

子供は、相手が期待通りにしてくれるわけではないということも、人生の中で学んでいく必要があるし、その時の自分の気持ちとの折り合いの付け方も学んでいく必要があるだろうと思う。

かと言って、「あんたの期待通りになんてできないわヨ!」と、突っぱねることも違うと思うのだ。そんなことしたら悲しかろう…。

突っぱねるのではなく、子供の思った通りにできない理由を伝えたり、期待に沿えないことを残念に思っていることを伝えたりすることが大切なんではないかと思うのだ。

そういう態度を見せることで、子供は、期待に応えてもらえないことを、多少不満に感じても、向き合わなくてはいけないことなのだと、徐々に学ぶことができる。学ばないかもしれないが、学べる可能性はある。

親はね、自分だけいいんじゃないけど、子供のことを自分ごとにしてしまうのも違うので、そこは大変難しいんだが、そのバランスを意識するのが、親の務めなのかなーと思うのである。

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