感謝とは、強要されるものではないと思っている。また、強要するものでもないとも思っている。
自分が誰かにしあげたことに対して、第三者が「感謝しなきゃいけないよ」ということがある。でも、感謝するかしないかは、本人の自由だし、感謝したくないければ、感謝しなくてもいいと思う。
私が誰かにしたことは、それが感謝されるようなことであったとしても、基本的には私自身のためにやっている。私がしたいからやっていることなのだ。だから、感謝されてもされなくても、同じ場面があったら、私はまた同じようにするのだと思う。私の行動原理は、他人からの感謝ではない。
私には夫がいる。これがまた、大変できた夫なのだが、夫が料理や洗濯、買い出し、掃除など、なにもかもやるので、それをよその人が知ると、「あなた、それは感謝しなきゃいけないよ」と言われる。
もちろん、感謝している。言われるまでもなく。でも、それを言われるたびに、違和感を感じるのだ。
言葉に深い意味がないこともわかっている。感謝しなきゃいけないと言う人は、「そんなになにもかもやってくれる旦那さん、いいわね」ということなのだろうと思う。「感謝して然るべきだ!」なんて、そんな強い感情で思ってはいない。
他にも、感謝を強要される場面は、ある。子供の頃からある。母親に何度、「誰がしてあげたと思ってるの」と言われたことか。そう言われた子どもは、「これはありがとうを言わなければならない場面なんだ」と空気を読み、「ありがとう。ごめんなさい」を差し出す。本当は思っていなくても。
確かに、これはこれで大切なことなのだ。感謝されたい人がいる。感謝の言葉を伝えることで喜ぶ人がいる。感謝の言葉を言わないと、ややこしいことになる。なんてことを、強要される感謝から、私は学んできたのだと思う。これはこれでありがたいことだ。母よ、ありがとう。
ただ、世の中に、誰かのためにやっていることなんて、ほとんどないのだ、と最近思う。誰かのためにやったことも、結局は、誰かから感謝されたい自分のためにやっている。いい人だと思われたい自分のためにやっている。
だからといって、誰かがしてくれたことに感謝しないわけではない。私は夫に、絶大な感謝の気持ちを持っている。出会えたことにも、夫の存在にも感謝している。「こんな素敵な人と出会えて、この人が私と一緒にいてくれることは、なんて素晴らしいことなんだろう」と思っていので、ありがたいという気持ちが、自然と湧き上がってくる。
感謝の気持ちって、本来こういうものなのではないかなと思う。誰かに強要されるでもなく、誰かに強要するでもなく、「なんてありがたいんだろう」と、自然に思えて、心が温かくなったり、ぎゅーっとなったりする。こういう感謝の仕方を、私はいつもしていたいと思うのだ。
